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備忘録:阪神大震災17年目

 節目の年でもないしいままでそんなに思い出すこともなかったけど、去年の震災を機にふと思い出して見ることにした。

 当時僕は小学5年生。実家は西宮市の山を隔てて北端。宝塚とか三田の間あたりにすんでた。震源からは30kmくらい。家に関してはその3ヶ月前に築150年くらいの家を建替えしたばかりでほとんど被害はなかった。

早朝の地震発生

 実家はそこそこ山奥なので、冬はむちゃくちゃ寒かった。エアコンはなく、僕は昭和の薫りのする電気あんか?っていうのを布団に忍ばせていた。5時半頃か、あまりの寒さに再度スイッチを入れようと布団の中をもぞもぞしていたら地震がきた。人生始めての地震。(それなりに地震というものの学習は小学生レベルで知識としては持っていても)マジで地球壊れると思った。

リビング集合〜田舎最強説

 ひとまず5人家族がリビングに集合した。電気水道は止まった。ガスはLPガスだから止まりようがないけど怖いので止めてた。温水器が灯油式で、屋外のタンクに50L近く灯油があったので、これまた昭和式のストーブ(天板でお湯がわかせる奴)を引っ張り出してきて家族で毛布をかぶりながらそれを囲んだ。

 数時間で、電気水道が復旧した。近場で火事も起こってなさそうなのでガスもつけた。けっこう平穏になった。とりあえず今日は小学校はないだろうなと思った。
 田舎だからなのか、オカンが買い物でストレスを晴らしてるのかは知らないけど、家には大量の食料があった。しかもばーちゃんが畑で野菜作ってたので食べ物の心配はなかった。むしろ、小学生が食糧不足にまで思いを至らせることはなかった。

後日一段落すると、中学校の教師をしているオヤジが、オカンが買いだめしたレトルト品や日用品をすべて自分の職場で配布するのに根こそぎ持って行ってしまった。勤務先が西宮市の南のほうなので、被害はそこそこキツかった模様。オカンは不満そうだったが、自分はかっこいいなとおもった。

テレビでの衝撃

 テレビをつけると、さっそくヘリからの映像が映し出された。神戸の街が燃え盛ってた。正直なところ、神戸は生まれてからそんなに行ったことなく、子供には遠くの街というイメージだった。それよりも少しあとで映しだされた阪急伊丹駅が壊れて電車が曲がってるところとか、高速道路が折れたりという方が衝撃を受けた。ちなみにおじいちゃんの家が伊丹にあったが、食器棚が倒れて食器がダメに成ったり、ばあちゃんが倒れたタンスの下敷きになって軽いけがをしたくらいで済んでいた。

 あと覚えている景色は、電車が復活した頃、大阪に向かう沿線で、川西池田のあたりかな。ビルがポッキリ折れてたりして「空が広い」ってすごく怖くなった。ビルは折れるものだと学んだ。

小学校の復帰

 ちょっと記憶がないけど、割と早く小学校は始まった気がする。1ヶ月くらいじゃないかな。しばらく給食は冷え切ったパンと紙パックの牛乳(普段はビン)しかでなかったような記憶もあるがどうだったろう。ひとつうえの6年生は修学旅行がなくなっててかわいそうだった。小学校全体では、家が全損とか、もしかしたら死者も出たかもしれないけど、自分の親しい交友関係では皆無事だった。友達が少なかったというのもあるけど。各クラスで文房具とかを募っていたので、大事に取ってたかっこいいプリントのついた鉛筆とかを寄付した記憶がある。

復興

 復興に関しては詳細は覚えてない。正直自分の家はすぐに元通りになったし、ACのCMとか報道で紹介される情報がほとんどだったから、阪神の人たちはみんな頑張ってるとか、伊丹駅が綺麗になっていいじゃんとか。

そんなこんなで、実家を出てからは一応防災グッズを常備するようにして、3ヶ月とか半年とかに一度賞味期限のチェックをするとかは今でも実践している。

以上備忘録。