そーだいさんの
40歳になるので30代でやってよかったことをまとめた - そーだいなるらくがき帳 を読んで、下書きしていた40歳を1年半ほど過ごした所感を僕もメモとして公開しようと思う。
年を取るごとに、キャリアの積み方も家族構成も違いが大きくなってきて、誰かの視点で語られたことが自分が見えている範囲にぴったり合うことが少なくなってくると思うので、N=1の情報を増やそうと思った。
なおこの記事は元々phaさんの「パーティーが終わって、中年が始まる。」「男はなぜ孤独死するのか」を読んでなかなかグッと来たので、自分も中年になって感じたことをメモに残しておこうと思ったのがきっかけ。
属性としてはITエンジニアからPdM方面にすすんで35歳くらいで独立してコンサルとWebサービス運営をやっている、23で結婚し25で生まれた子供は去年から海外に留学中。というあまり参考にならないけどそこそこ近いライフスタイルの人はいるんじゃないかという人間。
- キャリアの上昇がひと段落する
- いいかんじでキャリアを20代30代やってくると、だいたい一通りのことを経験してきて、金額的にも経験的にもひと段落してくる。
- 30代に突入したころは「自分が選ばなかった人生が、そこらじゅう顔を付けてキラキラ歩いている」という感じで焦りみたいなものもあったが、10年もすれば選ばなかった人生のメリデメみたいなのも実例として見えてきて、自分のスタイルでやってくしかないんだな、と思うようになってくる。
- これはネット業界という比較的動きが早い業界だからかもしれない。金融やメーカーの場合はやっと主任~課長くらいで組織マネジメントを学ぶなどあたらしいこともあるかもしれない。
- 金は稼いでおくにこしたことはない、副業せよ、転職せよ、投資せよ
- お金はだいたいの面倒ごとを回避してくれるので、とにかく稼ぐことにしっかり向き合った方がいいと思ってこれまでやってきたのはよかったともうが、へんに節税を意識して経費の無駄遣いをするくらいなら、しっかり納税して手元にお金を残して投資すればよかったと悔やんでいる。
- 自由は欲しいが、いざ自由になってみるとどうしていいかわからない。
- 独立していわゆる自営業なので、年間これくらい稼ぎたいなという金額が見えてきたら、いつ休むのも自由だ。お客さんにも遠慮なく「来週いないんで」といって休める。しかし休めるからと言ってなにするってのがないんだよな。遊ぶにはスキルと体力がいる。
- 昨年、コンサル業を減らして自社サービスに注力してみたが、圧倒的に生まれた時間に対して、進捗はコンサル業をたっぷり入れているときとあまり変わりなかった気がする。
- 人体の衰えを如実に感じる
- 眼、歯、神経、筋肉、スタミナ、どんどん衰えてる。もともと運動しないので、Chocozapを契約して奥様と週数回通っている。10分歩いて、マシン数種を15回ずつやって、もうしんどい限界といって40分ほどの滞在で帰ってくる。
- 周囲のみなさんも年を取ってきていて、やれ入院だのなんだのというのを目にするようになってきた。
- 刺激やストレスに弱くなっている。
- これはphaさんも書いていたが、うちだと息子が車のステレオで流す音楽のボリュームがうるさくてしんどいと思うようになった。
- これは自由のところとも関係するが、面倒な人、害のある人と付き合わなくて済む立場になってからは、たまに出会う面倒な人とのストレスに今まで以上にダメージを受けるようになった。
- 新しい人とコミュニケーションとるのもおっくうだな、と感じる割合が増えた。回数もそうだが、長時間一緒にいるというのが難しくなった気がする。
- だから先日からいくつか登壇したりコミュニティイベントに参加するようにしている。
- 老後みたいな生活はいったん楽しい
おそらく書き出してみて感じるけど、人に会う頻度が減って、おかげさまでオンラインでのコミュニケーションはよく取れているんだけど、面倒ごとが減ってストレス耐性も下がっているのではと思う。
たぶん、楽しいことと面倒なことは割とセットなんだよね。面倒を避けすぎて快適空間にいるので心の活力みたいなものが減ってる気がする。技術の探求もしなくなったのでカンファレンスとかもいかなくなったしな~というのが反省。
# ノイズから逃げずにいくぞ
たとえば海外って、場所によってはトイレも汚いし言葉は通じないし、ぜんぜん快適じゃないんだけど、そのぶんインプットとしても刺激になるんよ。あとおっさんになって経験を積むと同じ景色を見ると自分が見てきた景色との差分で解像度高く感じることができるし。たとえば同じ人手不足の韓国なのにコンビニに外国人店員がいないぞ、とか高速のETCレーンをUberが減速どころか時速80kmくらいで駆け抜けたぞとか。
子供の留学先のカナダで過ごして、日本の都心みたいに各駅にカラオケやボーリングやゲーセンやネカフェがぜんぜんなくて(田舎と同じ車じゃないと施設にたどり着けない)「こんな娯楽のない街でどうやって過ごしてるのか?」現地在住の人に聞いたところ「いやいや、カラオケも(少ないけど)あるし休みの日は友達と公園でバーベキューしたりバスケすればいいじゃないですか」みたいなのが返ってきた。
陰キャには厳しい世界だなっておもったが、人生の後半には大事なことなのかもしれないと男の孤独死本を読んで思い直した。
心理的にもそうで、レガシーJTCの人たちと話したり、リビングでえんえん流されてくる美容Youtuberの語りも一ミリも興味はわかないんだけど聞いておくと、とにかく雑談が苦手な自分がコンテキストの一致しない相手と過ごすための武器?になるときもあると思う。
若いスタートアップを支援するのもとても刺激になるし、コミュ強の奥様が地域ボランティアで連れてきた近所の大学に通う外国人留学生を招いてホームパーティするのも刺激になる。
エコーチェンバーとか悪影響までもいかなくても、意識して自分の興味外の情報を摂取しないと本当に人と一緒に過ごせなくなってしまう気がしている。
ぜんぶぜんぶ、中年になるとやりたいという気持ちよりもめんどくさい、どうしていいかわからないといった方が勝つんだけど、そこを一歩踏み出していこうと思っている。
そういったノイズや興味のないこと、おっくうになりがちな人づきあいを頑張りたい。少なくともそういうノイズの多い場に努力して身を置くことで、人生の後半をやっていけるような気がしてきている。